オペラ「末摘花」和歌山市民オペラ協会第23回公演のご報告 |
去る7月28日、埼玉会館で行われた全国オペラminiフォーラムで、私はご要請により、自分のプロダクションの公演映像をお見せしながら、「日本オペラを次代に」というお話をしましたので、その時ご出席の皆様には、一部重複する話で恐縮ですが、私がこの世に産み落としたオペラは「死神」「鳴神」「耳なし芳一」「末摘花」の四つです。この内、最初の三作品は、私がNHK在職中のもので、その大きなバックアップがあって、初めて生み出すことが出来たのですが、末娘とも言うべき「末摘花」は、私がNHKを定年退職後、1990年、ニュー・オペラ・プロダクションという組織を立ち上げ、その翌年から毎年、オペラの自主公演を続け、第11回に「耳なし芳一」を上演した後、5年の準備期間をおいて、2006年に第13回公演として初演しました。この公演は、その年の三菱信託音楽賞奨励賞を受賞しました。
私の自国オペラ、日本オペラについての思い入れは、NHK時代からイタリア歌劇公演の舞台監督、演出助手を務めた経験や、オペラ番組担当テレビ・ディレクターとして、数々の内外一流歌劇団、歌劇場公演を放送する内に、自国語で歌い演技する強みを痛感したからです。外国の有名なオペラでも、その国の歌手が歌うのと、それを日本人歌手が歌うのとでは実感の伝わり方がまるで違います。どんなに海外留学を積んで、その国の言葉に慣れた歌手でも、それは同じです。と言うことは、逆に、日本のオペラはどんな海外の一流歌手でも、日本人が歌う以上に言葉の裏に潜む実感を表現することは不可能なのです。それが、私が日本のオペラにこだわる原因の一つです。
私はプロダクションの付属組織として杉オペラ研究所を作りましたが、研究生が女性ばかりだったので、男性歌手の助演を頼まずに上演出来る日本のオペラを作ろうと思い、たまたま、台詞授業のテキストとして取り上げた、この原作戯曲を発見したのです。
女子高の校長先生で演劇部部長を兼任していた榊原政常氏が女性ばかりが出演する戯曲「しんしゃく源氏物語」を書き、上演して、それが全国的に評判になっていることを知り、それをもとに寺嶋陸也氏に作曲を依頼して出来上がった作品です。
没落貴族の娘で、垂れた鼻の先が赤く、紅花、別名「末摘花」と渾名された女性が、気まぐれな光源氏と過ごした愛の思い出が忘れられずに、流罪で明石に去った源氏が、帰京して再来するのをひたすら待ちわびる。生活は益々苦しくなり、源氏を見たい、会いたい一心の奥女中達も次々と去り、源氏が許されて京に戻っても、依然、音沙汰なしなので、遂には年老いた乳母と二人きりになってしまう。その時、何の風の吹き回しか、源氏が突然、再び門先に訪れて来ると、一旦、去った人々が大慌てで駆け戻ってくるといった、人心の機微をついた笑いあり、涙もあり、最後は感動に心を揺すぶられる作品なのです。
このオペラの東京公演を見た和歌山市民オペラ協会会長の多田佳世子さんが、音楽の素晴らしさは勿論のこと、物語の面白さと、平安時代のお話ですが、登場人物が京都、大阪の人で、話す言葉も京都弁、大阪弁であることに着目されたのか、是非、和歌山で、地元の歌手を起用して上演して欲しい、との要請をうけ、2011年に和歌山市民オペラ協会と和歌山市芸術創造発信事業フェスティバル実行委員会との主催により和歌山市民会館小ホールで上演。地元の方に大変喜んでいただくことが出来て、二年後の2013年に再演、そして、今回の三回目の公演となったのです。
キャスティグは若干、変わりましたが、この三回も同じ演目を演じたことで、歌手達の内容の掘り下げは見事に進んで、より役柄の心情を表現出来るようになり、8月19日の和歌山市民会館小ホールでのほぼ満席のお客様は、時に笑い、時に拍手大喝采、終わりには涙する姿を見て、私も嬉し涙がこみあげて来ました。
その完成度は、東京でのオペラ界一線の歌手達の歌唱演技に勝るとも劣らぬ出来で、私がNHK現役のプロデューサーだったら、このまま全国放送の波に乗せられる程のレベルに達したことを大変嬉しく思ったものです。そして、改めて、この作品を三回も取り上げて下さった和歌山市民オペラ協会会長の多田さんに心からのお礼を申し上げた次第です。
ニュー・オペラ・プロダクション 代表 杉 理 一