我がサラリーマン生活記 |
十二月 ×日( 晴れ )
午前七時。ノックの音……睡い……もうほんの五分。たったの五分位、大丈夫さ……
七時十五分。前よりも烈しくノックの音。 ………… いけねえ! 今日も寝過ぎた!
慌てて顔を洗ひ、飯を食ふ。ストーヴの前で新聞を走り読みし、身なりを整へて家を出る。時に八時を過ぎること十分。庭先、遙かに白妙の衣干したる富士を眺め、深々と朝の霊気を吸うと、自然、体内に一日の活気が蘇る。
満員寿司詰めガタガタ電車の玉電は貴族(??)の乗り物に非ず、とばかり、今日も、一停留所先の渋谷迄、バスに乗る。渋谷からは山手線で有楽町迄。いつもの余り混まない入口から乗車、早速、「魅せられたる魂」の一巻を取り出して、昨日の続きを読む。一区切り読んで、ふと目を上げた時、僕は一つの視線にぶつかった。「また、今日もか。」いささか、うんざりして、その女性を睨みつけてやる。しかし、一向に効き目がない。再び本に眼を戻しても、気が散ること夥しい。
とこうする中に、電車は有楽町へ。毎朝の習慣で出社前、宮城のお堀端を五、六分、ブラつく。石垣上の松の緑と空の青さとを湛へた水面を、白鳥が昂然と頭を上げ、悠々と泳いでゐる。彼等の目は、岸辺の道をせかせかと自分の会社へと急ぐ勤め人を、憐れんでゐる様だ。
僕は再び深呼吸して、入社第一日目に、ここで、白鳥に誓った言葉を思ひ出す。
心に、常に余裕を持て。自己を天空より見詰め、他人がいかに貧しく醜かろうと、自分の心を、それに馴染ますな。
出社、九時二分前、課長や係長は、既に出勤してゐた。前日の興業成績表と、十種類近くの新聞の映画欄に目を通す。
社長がYシャツ姿で、ぶらりとやって来た。(我が社は、冷暖房完備なので、一年中、Yシャツ姿である。) 昨日の成績がいいので、社長はすこぶる機嫌がいい。社長は別名、宣伝部長とアダナされている位、宣伝に熱心で、一日に三度位は必ず、宣伝課に現れる。だから、社長が来ても、皆、知らん顔で執務を続ける。社長の方が、「杉君、昨日の試写会の反響は、どうだった。」と尋ねる始末だ。
社長が去った後、課長が、お茶に誘ってくれた。課長や、課長代理は、屡々、かうして、我々の労をねぎらひ励してくれるのである。「君の今の仕事ぶりは非常に良い。今のペースを乱さずに行けば、君には将来、大もの社員になる素質がある。宣伝課といふ職場に入ると、大抵の者は、自分の型が崩れて来て、所謂、活動屋になり下がってしまふ。しかい、君は既に半年になるが、自分の品位を崩さずに、やってのけてゐる。大いによろしい。」
どこまで当たってゐるかは別にして、かう激励されれば、悪い気はしない。そして、この、もののわかった課長の為なら、一生懸命にやろうといふ気も起らうと言ふものだ。
課長は、更に、「宣伝課は、近々、宣伝部に昇格しようとしている。しかし、それには、中堅の人材が不足だ。そこで、君などに、どんどん仕事を覚え、一日も早く一人前になって欲しいのだ。我々も、一生懸命、君等の育成に力を惜しまないから、君等も、そのつもりで頑張ってくれ」と言ってゐた。
十時、帝国ホテルに宿泊中の、田中絹代さんの所に、昨日、書き上げた原稿を校正して貰ひに行く。これは、雑誌「知性」の依頼で、田中さんの談話を筆記し、それを、ちゃんとした文に纏めたものだ。田中さんは、随分と嬉しかった様子で、僕に、お禮に、と言って、毛のマフラーをくれた。
十時半から、新聞広告の下刷りの校正をやる。こけおどしの文句、甘い、とろける様な文句、文学少女好みの文句、滑稽な文句、……どんな文句が、一番、見人の心をひくか、ちょっとした心理学と、文学との結合問題だ。
十一時半、文化通信社の人が来て、「頼んどいた、新聞に流す原稿、まだですか。」と言ふ。「よしきた。」とばかり、少し待たして、撮影所から来たスナップ写真を頼りに、半時間程で、ゴシップ的記事をでっち上げてしまふ。
お昼は、いつも弁当なのだが、今日は、昨日、給料(基本給九千円、超過手当三、四千円)が入ったので、奮発して不二家に、金百五十円也のライスカレーを食べに行く。
百五十円の値打ちは、カレーライスと、それを運んで来る、例の清楚なウエイトレスに会へることにある。別に、話しかけたり、はしたなく、誘惑しようとしたりするのではなく、ただ、美しい絵や花を賞美する様に、時々、眺めては、安い食事を、うまく食べようと言ふのである。
食後、二十分程、はす向かひの日比谷公園を散歩する。葉牡丹の落着いた紅が、寒々とした花壇の中で人目をひく。
一時より、宣伝企画会議、どの作品は、どこにポイントを置き、どの様に宣伝したら効果的か、を検討する。会社自体、組織自体が若いせゐか、若輩の意見も、どしどし採り入れてくれるので、面白い。今日は正月に発行する、日活新聞の編輯について、だったが、もう一人の同僚と一緒に、その任に当たるよう委嘱された。
これは中々、大変な仕事だ。読者に面白、可笑しく、作品宣伝を浸透させるのは、非常にむづかしい。しかし、それだけに、やり甲斐はある。
二時から三十分ばかり、「丹下左膳」の社内試写を覗く。斬って斬って斬りまくる、御存じ、丹下左膳、乾雲の巻。理屈もへったくれもあったものぢゃない。胸のすくやうな痛快さに、お客の財布の紐も、ゆるまふと言ふものである。
この数ヶ月、真面目な社会映画、文芸映画を続々と、世に問ふて来た日活は、初めのうちこそ、調子良かったが、十月、十一月に入ってからの不振は甚だしく、遂に、ある程度の企画転換は余儀ないとされるに至った。
残念ながらインテリの数は少ない。たとへインテリでも、仕事に疲れ、ただ娯楽としてのみ、映画を見る人は多いのだから、やりきれない。少ないインテリに受けても、大衆、特に地方大衆に受けなければ、映画会社は成り立って行かないのである。辛いところだ。
二時半、ポスターとチラシを持って、山葉ホールへ。試写会の手配の為である。。目立つところにポスターを貼り、フィルムの準備完了。お客を並べ、チラシを手渡しつつ、入場させる。
今日の映画は「母なき子」。招待対象は、主として、婦人団体である。この招待状発送の手配もさることながら、前以って、警察署、消防署、税務署、保健所へ、一々、集会届を、手落ちなく提出するのも、僕の厄介な仕事の一つである。
三時、映画開始。後を(ジードの愛読者の)案内ガールに頼み、ホールの支配人に挨拶し、階下のレコード売場に降りて、ちょっと、倫子嬢とお喋りする。。それから、ちょっと、銀ブラへ。
三越で、N響定期会員券の引継ぎの手続きをしてから、松屋デパートの画廊を覗く。能面の陳列会。神韻渺々たる、数々の能面に見惚れ、しばし、時の経つのも忘れる。
四時過ぎ、ホールへ戻り、城内で、作品が、お客に与へる反響を伺ふ。あまり芳しくない。お客が何となく冷静なことが、場内の空気に感じられる。
四時半、試写終了後、時を移さず、各婦人団体の幹部を集め、前以って呼んでいた、報知新聞の記者と、ホールの応接間で、座談会を開く。勿論、今、見た映画についてである。これが、明日か、明後日の記事にのるのだ。これも、大きな宣伝の一つである。
五時半、帰社。
興行課で、今日の都内館の興業成績を見る。どこの会社の、とういふ作品に客足が多いか、どこの映画館に客足がついてゐるか等により、宣伝ポイント、対象観客層、観客の興味、宣伝効果等を学ぶのである。六時迄の三十分間は、眼が廻りそうに忙しい。
雑誌社に送るスティールの整理、、次回試写会の手続、通信社とのニュース交換、撮影所との連絡、ポスター、広告、チラシの文句の考案、更に、ひっきりなしに、かかって来る電話の応対、等々。きりがないので、いいかげんのところで切上げ、明日のプランを立て、早々に退社する。課長以下、大部分の課員が残ってゐるのに、真っ先に引揚げるのは、大抵、僕だ。実際のところ、大した仕事もないのに、ぐずぐず、のろのろ机に向かって、上役の後でなければ、思い切って帰れない連中が大部分なのだ。僕は、別に、金持になりたいとも、名誉ある地位につきたいとも思ってはゐない。生活の基盤さへあれば、後は、のびのびと、自由に、自分を育んで行ければよいのだ。僕にとっては、会社の仕事は第二義でしかない。
第一義の、自分の人間の成長に、それが資する範囲に於いてのみ、仕事に励むのだ。
「お先に…… お疲れさん。」
一時間位の超過勤務は、面倒くさいから、つけない。タイムレコーダーなんてものはないから、そこんとこは、いいかげんなものだ。
丸の内日活劇場に寄る。この館は、やはり、都内で一、二を争う程の高級ロードショウ劇場だけに、案内嬢や、売店の売り子に美人が多い。暇な時に、ここに来て、お喋りしたり、からかったり、何となく、自分が、もててる様な気持になって、いい気になっている。
しかし、最近、その中の四人の女性が、妙にロマンチックになって来たので、なるべく、長居はしないことにした。恐ろしいのは彼女達でなく、僕の心だ。
七時半帰宅。音楽を聴きながら、夕食。
八時半から声楽の勉強。 Winterreise(冬の旅)より、Der greise Kopf(霜置く髪)、Die Krähe( 鴉 )、夢中で歌っている最中が一番、楽しい。たとへ、それが、いかに、下手であらうと……
多忙にかまけ、練習が途絶へがちなので、何となく、前より声の質が、落ちたやうだ。 九時半より十時半迄、最近、インド哲学にこり出したY君の推薦になる「ラーマクリッシュナーの生涯」を読む。インド聖者の話だ。一時間では、大した読書量でないが、味わひ深い本と言ふものは、有難いことに、たとへ一時間でも、いろいろなことを教へてくれる。
日記をつけ、十一時にベッドに潜り込む。そして、思ふ。「やはり、僕は、偉さうに理屈ばかりこねまわし、今日も、一歩も進まなかった、と。そして、「馬鹿者め、明日こそは、きっと、飛躍への足場を見つけるのだぞ。」と自らに言ひ聞かせて、深い眠りに入る。
※学習院大学の同窓で親友だった平岡宏君に紹介され、彼が卒業した東京高等学校の同窓仲間と親しくなり、篠原君もその一人だった。私が日活映画会社宣伝部員だった時代に寄稿を依頼されて書いたものだが、その同人誌は結局、出版されなかった。
※文中の「倫子嬢」は平岡君の妹さん、「Y君」とは開成高校の同窓で親友の八木沢君。
※この当時、便利優先で安直な新仮名遣いに抵抗を感じていた私は、断乎、旧仮名遣いで書いていた。