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 福永陽一郎さんの大いなる遺産
 藤沢市民オペラ『ファウスト』を演出して

【 「劇場芸術 No.11 January 1991」掲載記事 】

 今年の1月、大谷冽子さん叙勲祝賀パーティーからの帰途、私は偶然久しぶりに福永陽一郎さんにお会いした。福永さんとは、私がNHKに入局して以来30年のおつき合いだが、その時は近況を尋ねられるままに、私は一昨年NHKを定年退職し、今迄の経験を生かしてオペラの舞台演出をやりたいと思っているのだが、後発の悲しさで中々チャンスを与えてもらえず残念だとお答えした。その日はそれでお別れしたが、翌日、福永さんから電話があり「実はこの10月に藤沢市制施行50周年を記念して“ファウスト”を上演するのだが、予定していた粟國安彦君が急逝して大変困っている。代って演出を引き受けてもらえないだろうか」とのこと、私は余りにも突然の責任重大な大仕事に一瞬息を飲んだが、「私でよければ……」と喜んでお引き受けすることにした。

○藤沢市民オペラと福永陽一郎さん
 藤沢市民オペラは現市長の葉山峻さんの要請を受けて福永さんが市民オーケストラ、市民コーラスの指導に乗り出され、1973年、市民会館5周年記念の『フィガロの結婚』を第1回公演として、2、3年おきにオペラを上演、次第にその成果が世の注目を集めるような成長ぶりを示して来た団体である。それも偏に、病に冒された体を鞭打ち強靭な意志と燃えるような情熱でこのグループの育成に精魂を傾けて来た福永さんの超人的な努力の結果だが、私は1983年の超大作『ウィリアム・テル』本邦初演を見に行き、その熱気溢れる質の高い舞台にすっかり圧倒されてしまった。以来『アイーダ』1985年『椿姫』1988年と、この団体の公演から目が離せなくなっていたが、まさかそこで自分が演出することになろうとは夢にも思っていなかった。

 一週間後、出演者オーディションにオブザーヴァーとして出席するため市民会館へ出かけて行き、私は人工透析で衰弱した体からエネルギーを絞り出して頑張っている福永さんから公演全体の構想を綿密にワープロに打ったリーフレットを渡された。粟國君との間では未だ具体的な話は何も決めていなかったから、舞台のスタッフの選定もすべて君のやり易いように自由に決めて欲しいと言われ、より具体的な打合せは次の人工透析入院から帰宅する日の夜、電話で、と約束してお別れした。

 その2月10日、青山での粟國君の音楽葬に出席した日の夜、10時近くに福永さん宅へ電話して、私は思わず受話機を取り落とさんばかりに驚いた。福永さんが急逝されたというのである。後でうかがった話だが、福永さんは病床に迄スコアを持ち込み、『ファウスト』の構想を練り續けられたそうで、まさに藤沢オペラに全身全霊を打ち込み、その途上で凄絶な死を遂げられたというべきであろう。それに續く2、3日、私はただ自分を認めてくれた福永さんへの深い感謝の念から葬儀の進行に全力を尽くした。

○福永さんの遺志を貫徹して実現へ
 悲しみの日から10日後の21日、市民会館から呼び出しがかり、福永暁子夫人や沢山の市民の方達からの強い希望もあり、会館としても福永さんの遺志を貫徹して『ファウスト』の公演を実現したいので協力して欲しいとの申し出を受けた。勿論、私に異存はない。しかし、演出は私がやるとしても、福永さん不在の穴は余りにも大きく、指揮者の選定を含めて音楽面全般を総括的にまとめる音楽監督がどうしても必要で、その最適任者として福永さんの親友で音楽界の大先達、畑中良輔さんを推し、会館側の了承も得られた。

 翌日、私が直接畑中さんに電話したところ、幸いにも御快諾いただけた。続いて畑中さんの御推挙で、やはり福永さんと親しく、合唱指揮者、オペラ指揮者として活躍しておられる北村協一さんにこの多大の苦労が予想される指揮をお引き受けいただくことになった。

○市民オペラ「ファウスト』の構想
 私は早速、ヨーロッパでも仕込みの大がかりなことで、おいそれとは上演されないというこの大作の演出プランを練り始めた。その根幹となる部分は、福永さんの藤沢市民オペラ育成の基本理念であり、例の『ファウスト』構想メモの主旨と軌を一にするものだった。何よりもこの作品を「市民オペラ」として仕上げること。つまり広い年令層に亘って誰にも分かり易く親しみ易く、見聴きする人達ばかりでなく出演するすべての人達にとって「オペラは楽しいもの、すばらしいもの」と実感出来る公演にしようと考えた。

 親しみ深いメロディーを含んだワルプルギスのバレエ・シーンを入れ、振付の渥美利奈さんを始め地元バエレ団の参加を得て、この公演をオペラとバレエの祭典にしたい、そのためにマルガレーテとジーベルの対話や教会のシーンをカットするのも止むを得ないというのが福永構想だった。市民の交通の便や鑑賞時間の限度を考慮すると、全5幕、休憩を入れて4時間半を越すこの超大作の一部カットは適切な処置だったと思う。
 メモには「ドイツではグノーの“ファウスト”は文豪ゲーテの原作の格調の高さを損ねているとして評判が悪く、オペラ“マルガレーテ”と呼びならわしているが、今回はその悪評を逆手に取り通俗娯楽面を強調してすべての市民が楽しめる公演にしたい」とあり、訳詞上演もバレエ・シーン挿入もこの主旨に添ったものだが、私はメフィストフェレスの魔性を視覚化するために、様々なトリックや一瞬にしてダイナミックに場面転換を行うミザンセーヌの工夫に心を砕いた。いち時に多人数の出演者が登場するパワフルなスペクタクル・シーンが実現出来るのも藤沢市民オペラならではの大きなメリットなので、それを生かすことも演出の大事なポイントの一つにした。言うは易く、行うは難いのが舞台だが、幸いにして美術の三宅景子、照明の沢田祐二、衣裳の岸井克巳、舞台監督の大沢裕ほかの皆さんからなる強力スタッフの理解と献身的な協力が得られ、私の望み通りの成果へとつき進むことが出来た。

○ラストシーンの形象化
 一つ一つのシーンにそれぞれ深い思い入れがあって、それをいちいち書くだけの紙数はないが、最も頭を悩ませたラスト・シーンの形象化が多くの方からお褒めの言葉をいたづいたので、ここではそのシーンについてだけ言及させていただく  このオペラの結末には元来、無理がある。2部に分かれたゲーテの大作の第1部だけに取材しているため、天使の陰コーラスの中、神に召されるマルガレーテを残して肝腎のファウストはメフィストフェレスと共に立ち去るか、彼女を呆然と見送るなかで幕になる。これではいかにもカタルシスの快感が得にくい。そこで私は教会シーンをカットした缺点を補いつつ、ヴァレンティンの死の第3幕からワルプルギスの第4幕、牢獄の第5幕第1場更にマルガレーテ昇天の第2場までを休憩なしに一気に畳み込み、しかもその大詰を荘厳な神への讃歌のクライマックスにしようと考え、天使の声の合唱全員を舞台に乗せることにした。その前の牢獄シーンからのつながりとして、又、地上に取り残されるファウストとの対極として大合唱の位置するところは舞台奥の高い台の上と決めた。楽譜の上でもモルト・クレッシェンドの末のフォルティッシモと指定されているクライマックスで、奇跡の成就の象徴としてマルガレーテの両手を繋いだ鉄の鎖が砕け落ち、「救われた!」の天使の合唱と同時に牢獄の鉄格子も四散して飛び去り、魂の救済に浄化され微笑みを浮かべてマルガレーテは両手を拡げ舞台奥の高みへと昇って行く。追いすがろうとするファウストは立上がることも出来ず、傾斜舞台を流れ落ちて来るドライ・アイスの雲に次第に覆われて行き、遂にはメフィストフェレスの黒いマントに包まれて下界へと連れ去られて行くという構図が私の頭の中に出来上がった。

○市民グループの熱意に支えられ
 この幕切れを最高の美しいシーンにするために全出演者はもとより、全スタッフの力が一丸となった。セット、照明、衣裳、それに鎖を砕け落とす仕掛けに何回となく試行錯誤を繰返した小道具係、白い布を大量に買い込んで百数十着の天使の衣裳を懸命になって縫い上げた市民のボランティアの人達、オペラのすばらしさは、このように沢山の人々の目に見えない力が結集して最高の成果を生み出すところにある。

 6月、7月と音楽練習を重ね、8月初めから立稽古に入った。海水浴客に揉まれながら往復3時間半の電車の中、立ちっぱなしのことも?々で、最終的に私は永福の自宅から63回、藤沢へ通ったことになる。  何しろ、主役、準主役が4組だったり、トリプルだったり、ダブルだったり、大人数な上に複雑な組み合わせで、その上、合唱がダブル総勢180人余、しかもアマチュアというのは前代未聞で、覚悟はしていたものの、演技指導をやってもやっても全員に行き渡らず、まとめるのに四苦八苦した。殊にラストスパートで、普通、歌手達は連日の稽古で公演に向け集中度を高めて行くのに、ここでは人によっては、次の自分の稽古まで3日間の間があいてしまうことも?々起きて来るのである。しかし、歌手諸君は誰もが大変熱心で状況をよく理解して、私の指示通りにベストを尽くしてくれた。

 プロと違ってアマチュアの合唱団は全員が揃う時は公演の時だけと冗談に言われる位、個々のメンバーの家庭の事情で毎回、練習に現れる人数や顔ぶれが異り、全体の構図や動きのまとまり具合を把握しにくく、こちらの意図を飲み込んで動き出すまでにも手間がかかった。しかし、この市民グループの強みは皆、明るく陽気で、やる気満々の人を中心に燃える熱意に支えられていることで、それが私の励みとなり、この仕事を本当に楽しいものにしてくれた。

○市民オペラよ永遠なれ
 結局は参加者全員のこのオペラにかける情熱「よし、やろう!」というエネルギーが、この公演を成功へと押し上げたのだが、葉山市長を始めとする藤沢市、市民会館の理解と強力なバックアップあって始めて花開いたとも言える。経済的援助もさることながら、公演のために舞台や広い稽古場を長期間に亘って確保することが、どれほど困難であり実は大変大事なことであるかを、舞台経験者なら誰でもが知ってることである。今や全国津々浦々に立派な会館や劇場が作られているが、そこで上演され、演奏されるソフトの質に関しては、どこでも甚だ貧しいのが一般である。その点、オペラという芸術文化にこれだけの理解と援助を惜しまない藤沢市は真の文化都市の名に恥じない自治体として、もっと賞揚されてしかるべきだと思う。

 ここまで藤沢市民オペラを育て上げて来られた最高の功労者福永さんを失ったことは、真に痛惜の念に耐えないが、親友の畑中さんが後事を引き受けられたことは大変心強く、ありがたいことである。私はあのラスト・シーンを思い出す度に、マルガレーテが昇って行った舞台奥、合唱の背後の空間に優しくほほ笑みながら私達を見守っている福永さんの姿が必ずまざまざとオーヴァーラップして浮かび上がって来るのである。

〔 藤沢市制施行50周年記念公演 藤沢市民オペラ 〕
『faust(ファウスト)』全5景
音楽総監督=畑中良輔 指揮=北村協一 演出=杉理一 振付け=渥見利奈 美術=三宅景子 照明=沢田祐二 衣裳=岸井克巳
上演場所:藤沢市民会館大ホール
主催:藤沢市・藤沢市民会館友の会
上演期日:1990年10月13日、14日、20日、21日


杉 理一(すぎのりかず)
1931年生まれ。学習院大学卒業後、日活宣伝部を経て、'58年から'87年までNHK音楽芸能部チーフディレクターとして活躍。主としてオペラ番組の演出を担当。
71年にはテレビ・オペラの唯一の世界的コンクール、ザルツブルグ・オペラ賞優秀賞を「死神」で、'74年には『鳴神』で同グランプリを受賞。現在、二期会オペラ・スタジオ、日本オペラ振興会歌手育成部講師。
昭和音楽大学、東京工学院芸術専門学校各講師。